新潟県加茂市の出身。実家は大昌寺という曹洞宗のお寺です。私の祖父西村大串(だいかん)住職は、お寺の境内に1920(大正9)年、地域の勤労青少年に勉学の場を提供し、 禅の精神に基づく人間教育をめざして「加茂朝学校」を開校しました。祖父は、東京帝国大学英文学科を卒業後、僧職にありながら成蹊実務学校(東京池袋、成蹊学園の前身)で 教鞭をふるう教育者でありました。この朝学校の後身が加茂暁星学園で、昭和39年まで境内に高校がありました。
禅僧を養成する禅林(僧堂)が祖父により設立されており、幼少期は、お寺にいた修行僧や樺太から引きあげた人たち、
当時敷地内にあった高校の先生やその家族たち…とにかく色んな人たちと生活していました。物心つくまで、自分の家族が誰なのかもよく分かっていませんでしたが、
そのお陰で人見知りをしない性格になりました。また、このような家庭環境が、私の政治信条の「蓮田共生」の考え方に大きな影響を与えていると思います。
ちなみに蓮田市内の長松寺(関山3丁目)の吉井淨仙住職(先住)は、祖父に誘われこの高校の教師として昭和23年に4か月間勤務されていたそうです。娘が蓮田幼稚園に通っていた時に、吉井淨仙住職と話し偶然その事実を知りました。蓮田とは、不思議な縁
があるようです。
しかし、子どもの頃はテレビに夢中で、いつしかテレビに出るような女優になりたいと淡い期待を持つようにもなりました。
新潟県立三条高校に入学し、進学を決めるときには現実的に考えて、お寺で運営している幼稚園の先生になろうと思いました。 この幼稚園も、祖父がつくったもので1921(大正10)年に開園した県下でも最も古くからある幼稚園の一つです。
聖心女子大学教育学科心理学専攻に入学を機に、上京。 観劇の機会が増え、「自分もやりたい!」と思い、大学4年生の時に演劇集団『円』の研修生になりました。
幼稚園教諭一級免許も取得しました。
演劇集団『円』で夫と出会い、結婚。 そして蓮田市に移り住み、娘二人の子育てに奮闘する日々を送りました。
ところがある日、義父が市議会議員をしていましたが、病気にかかり引退することに。 義父の「自分たちの地域に議員がいることはとても重要。地元の声を拾って届ける人が必要だ。」という意思を尊重し、一時は夫が跡を継ぐことも考えましたが、 お芝居を続けてほしいと思い、自分が出馬する選択肢を考えるようになりました。 しかし、経験ゼロの主婦が議員になるなんて…。まったく自信がありませんでした。そんな中、公園のママ友たちに相談したところ、 「ダメ元でいいからやってみよう!」と意外にも心強い後押しをしてくれました。
そうしてなんとか当選してからは、主婦という目線を活かし、はじめは教育を切り口に (市立学校へのエアコン設置や校舎・体育館の改修等)、政治家として市の改善を訴えました。
埼玉県議会での経験はとても得難いものでした。外から蓮田市をみることができ、蓮田市の良いところ、伸ばしたいところが客観的にみられるようになりました。
【地元問題】
【県全体】
今まで培ってきた経験を活かして、蓮田市をもっと住みやすく、もっと魅力あるまちにしていきたいと思います。 県議を経験し、国・県・市がしっかりと手を取り合って連携していくことがいかに大切かが、本当に身に染みてわかりました 。同じ方向を向いて施策を展開することで実効性が高くなり、ひいては市民の生活の安定、利便性の向上に深く寄与することになります。 蓮田の発展のために一生懸命頑張りたいと思っております。